講談社BOOK倶楽部

ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第2話」ルパート・エミリの無念

 夕食の席で集まった仲間に、自分が体験した話をしていたルパートは、そこでいったん間を置いた。喉(のど)が渇いていたのでコーヒーカップに手を伸ばしていると、彼の話に引き込まれていたらしいマーク・テイラーが、じれた様子で続きを促す。
「おい。肝心なところで話をやめるなよ」
「肝心なところだから、いいんじゃないか」
 コーヒーを飲みながら太平楽に言い、みんなが続きを待っている状況をしばし楽しむ。何がいいかといって、面白い体験や情報を披露する時の、己に向けられる周囲の期待感や緊張感ほど気分のいいものはない。
「それで、何を見たって?」
 程よいタイミングで、分厚い眼鏡をかけたパスカルが促す。
 小さく咳払(せきばら)いをしたルパートは、そこでようやく話を再開した。
「だからさ、それが驚いたのなんのって、そこにいたのは、ハリネズミだったんだ」
「ハリネズミ?」
 ほぼ全員が、いっせいに繰り返した。

テムズ川にかかるゴシック様式のタワー・ブリッジ(著者撮影)
テムズ川にかかるゴシック様式のタワー・ブリッジ(著者撮影)
「そう。しかも、ただのハリネズミじゃない。そいつの針の山には、合計で6粒のぶどうが突き刺さっていたんだから、びっくりじゃないか」
「ぶどうって、まさか、君の?」
「他にぶどうをとられた奴がいなければ、そうだろう」
「だけど、それだと数が合わない」
「数?」
「うん。ルパートがとられたのは、最初の2つと、試しに投げてみた最初の1粒と、あとで連続して投げた4つ。つまり合計で7粒のぶどうをとられたはずだよね?」
 さすが数学に強いだけはあって、パスカルは数にうるさかった。
「ああ、そうなんだけど、話はそれだけじゃないから」
 鋭い指摘に軽く片手を振って応じ、ルパートが続ける。
「最後の1粒は、ハリネズミが食べていたんだよ。こう、後ろ足で立って、前足を両手のように使って器用に皮を剥(む)いて、かじっていたんだ」
 ルパートは手ぶりでかわいらしげにものまねをしてみせたが、残念ながら効果は薄く、全員の視線が白々したものになる。
「…おい、ルパート。それ、作り話か」
「えっ?」
 テイラーの冷ややかな確認に、ものまねの手を止めたルパートが、いたって真面目に応じる。
「作り話じゃないよ。本当の話。まさにウソみたいな本当の話だって」
「ハリネズミの針山にぶどうが突き刺さっていて、しかも後ろ足で立った状態で皮を剥いてぶどうを食うのが、か?」
「そうだよ」
 ルパートがうなずくと、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった監督生の一人が、つまらなそうに言い残す。
「なんだよ。ルパートの持ってくる話だから、どんなすごい情報かと期待して待っていたけど、損したな。お伽話(とぎばなし)には、興味がないんだ」
「え、でも、本当に——」
「んなわけ、ないだろう」
 テイラーが、ルパートの肩をドンと突いた。
「どこの世界に、立ったまま皮を剥いてぶどうを食べるハリネズミがいるんだ」
「そうそう。しかも、お前の話だと、投げ上げたぶどうを、目にも止まらぬ速さで奪取したのも、ハリネズミということになる。そのつど、起用に針に突き刺して?」
 皮肉げに言ったウラジーミルが、「ありえないだろう」と首を横に振る。
「だけど、現に——」
「ルパート」
 ルパートの言葉をさえぎるように穏やかに名前を呼んだパスカルが、いたわるように言う。
「きっと、疲れていたんだよ」
「……」
 その目でしっかりと目撃した出来事を誰にも信じてもらえず、ルパートが仏頂面で腕を組んでいると、背後から理知的な声がかけられた。
「やあ、みんな。いったいなんの話だい?」
バッキンガム・パレスの外観と近衛兵の交代風景
バッキンガム・パレスの外観と近衛兵の交代風景
 遅れて食事の席にやってきたのは、フランス貴族の末裔(まつえい)であるシモン・ド・ベルジュと、その横にひっそりと奥ゆかしく存在するユウリ・フォーダムだった。白く輝く淡い金の髪と澄んだ水色の瞳(ひとみ)を持つシモンに対し、黒絹のような髪と漆黒の瞳を持つユウリは、体格も含めて、見事な対をなしている。ただし、太陽のごとく神々(こうごう)しいシモンの横にあっても卑屈にならず、凛(りん)とした様子でいられるユウリの在り方というのは、真似しようと思っても、そうそうできるものではない。これも、個性の一つなのだろう。
 二人の登場に、まるで救世主を見たかのように顔を輝かせたルパートが、「それが、聞いてくれよ、シモン、ユウリ」と始めようとした。
 だが、頬杖(ほおずえ)をついたウラジーミルが、冷ややかに忠告する。
「聞く必要ないぞ、シモン。時間の無駄だ」
「俺も、そう思う」
 皮肉屋のウラジーミルだけでなく、朴訥(ぼくとつ)な性格のテイラーまでが賛同したので、席につきかけていたシモンとユウリは、意外そうに顔を見合わせた。
 腰を落ち着けたシモンが、ナプキンを広げながら確認する。
「よくわからないけど、そういえば、さっき、僕に論文の話を持ちかけてきた時、あとでとても面白い話を聞かせるからということだったけど、もしかして、そのことと関係がある?」
「え。…ああ、うん」
 いっせいに批難を浴びたせいで、すっかり意気消沈してしまったルパートが、気まずそうに応じる。
「なんていうか、変わったハリネズミがいたって話なんだけど」
「ハリネズミ?」
 いかにも不審そうなシモンの横で、ユウリが好奇心にかられた様子で身を乗り出す。
「ハリネズミなんて、どこで見たの?」
「西側の雑木林に行く手前の散歩道だよ。それが、本当に不思議な話で――――」
 ユウリの興味津々な表情を見て少しだけ浮上し、先を続けようとしたルパートを遮るように、ウラジーミルが「思い出したぞ」と手を打った。
「『フィシオログス』だ」
「えっ?」
「フィシオログス?」
 ルパートとユウリがそれぞれにきき返していると、「ああ」と納得したシモンがパンをちぎりながら言う。
「『フィシオログス』のハリネズミなら、ぶどうの枝を揺すって房から実を落とし、その上を転がって針にぶどうを突き刺すという話だったね。僕も何かで読んだことがある」
「そうそう」
 ウラジーミルの肯定を受け、シモンがルパートに質した。
「それで? それがどうしたって? …まさか、現実にそんなハリネズミを見たとかいう話ではないよね?」
 もちろん、そう言うつもりだったルパートは、すっかり話す気をなくし、「いや、なんでもないんだ」と呟(つぶや)くと、デザートのチョコレートケーキにフォークを突きたてた。
 それを口に放り込んで、続ける。
「悪いけど、シモン。さっきの論文の件は借りにしといて」
 そんな会話の交わされているヴィクトリア寮のはるか上空ではやけにくっきりとした月が輝いていて、その前を「ケラケラ」と笑い声をあげる悪戯妖精(いたずらようせい)の影がスッと過ぎていった。
 実りの秋、夜は長い。

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◆ バックナンバー ◆
2008年10月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第1話」マーク・テイラーの隠し事
2008年11月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第2話」ルパート・エミリの無念
2008年12月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第3話」数学者と皮肉屋の不審
2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
2009年2月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし
2009年3月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第6話」ユウリ・フォーダムの昼休み
2009年4月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第7話」エドモンド・オスカーの誤算
2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
2009年6月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息