講談社BOOK倶楽部

ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)

「ユウリ・フォーダム。ユウリ・フォーダム。ユウリ・フォーダム」
 まるで呪文(じゅもん)のようにその名前を唱えながら歩いていたピンチは、はちみつ酒を隠してある古いニワトコの茂みまでやってきたところで足を止めた。彼の髪の毛のように密生した藪(やぶ)になっているニワトコは、妖精界と繋(つな)がるワームホールを隠し持ち、大事なものを保管しておくのにとても便利なのだ。
「ユウリ・フォーダムっと。なんともいい名前じゃないか。なんかこう、困難を打破してくれそうな勇ましさがある」
 勝手な思い込みであるが、上機嫌に言いながら、彼は茂みの中に手を突っ込み、はちみつ酒の入った壺(つぼ)を取り出す。
「てなわけで、まずはユウリ・フォーダムに乾杯しよう。まだ会ったこともない人間に乾杯するのも変だけど、景気づけの一杯は必要だし、会ったら会ったで、また乾杯することになるわけだから、先にオレサマが乾杯しておいたところで、時間差攻撃みたいなものだから、不都合はないってもんだ。なんにせよ、今のオレサマには、極上のはちみつ酒が必要不可欠、前祝いだ、前祝い」
 手前勝手に理由をつけ、彼は壺を傾ける。
「ああ、ウマイ。これぞまさに、アンブロシウス。天界の飲み物ってもんだ」
 いい気なものである。
 それからさらに、2杯目、3杯目と飲みながら、彼は陽気に叫んだ。
「ホッホー。ユウリ様々、フォーダム万歳!」
 と、その時————。
 ふいに背後で声がした。
「何が、ユウリ様々だって?」
 第三者の登場に、飛び上がって驚いた悪戯妖精が、壺を抱えたまま振り返れば、そこに全身を黒一色で統一した妖(あや)しげな男が立っていた。
 長身痩躯(ちょうしんそうく)。
 長めの青黒髪(ブルネット)を首の後ろで結んでいる。
「わわっ! 出た、悪魔!」
 ピンチは、相手の正体を知っているわけではなく、ただ見た感じをそのまま言葉で表現したに過ぎなかったが、それはかなり的を射たものになっていた。
 というのも、現れた男、コリン・アシュレイは、この学校の卒業生で、「悪魔の申し子」として恐れられる、まさに悪魔のように頭がよく、かつオカルトに造詣(ぞうけい)が深いことで知られる生徒だったからだ。  アシュレイが、胡乱(うろん)げにピンチを見おろしながら、問いかける。

パブリックスクール・イートン校を歩く生徒達
パブリックスクール・イートン校を歩く生徒達
「それで、お前は何者だ?」
「見てわかりませんか?」
「この学校の生徒じゃないのはわかる」
「おや。ここの制服を着ているのに、生徒には見えないと?」
「ああ」
 それから、ピンチが抱えている壺を顎(あご)で示して、その理由をあげる。
「とんがった耳をして、嬉々(きき)としながらはちみつ酒の壺を抱え込んでいるお前が生徒だとしたら、ここはいつからお伽(とぎ)の国になったんだってことだろう」
「おやまあ」
 片手で耳を触り、現状を確認したピンチが、その手で頭を掻(か)いて嘆いた。
「これは困った。正体を見破られている。大変だ! ピンチだぞ! ピンチにピンチがやってきて、これぞまさにダブルピンチ!」
 言っているそばから、アシュレイが眇(すが)めた目で睨(にら)みつけてくる。
「くだらない駄洒落(だじゃれ)を言っている暇があったら、さっさと答えるんだな。お前、ユウリになんの用だ?」
「届け物ですよ。はちみつ酒をお届けにあがる予定です。予定は未定で決定ではありませんけど、今のところ、予定は予定です」
「ふうん」
 そこで、小さく首をかしげて何か考えたアシュレイが、口元に策士の笑みを浮かべて言った。
「それなら、その予定を繰り上げればいい。はちみつ酒の壺は、俺が預かってやる」
「————その心は?」
「簡略化による円満解決。お前は用事を終えて妖精界に戻れるし、俺は極上のはちみつ酒を手に入れることができる。まさに一石二鳥の名案だろう」
「名案というよりは、『あん』にもならないキナコ餅(もち)みたいで。———そもそも、なんでそちらさんに、はちみつ酒を渡す必要があるんで?」
「それは、当然、ユウリのものは、俺のものだからだよ」
「なら、旦那のものは?」
「俺のものだよ。当たり前のことを聞くな」
 あまりに身勝手で図々しい言い分は、単純な悪戯妖精には、偏りすぎていて理解すらできなかった。
「オレオレ、ピンチ様が悪いのか、そちらさんが悪いのか、言っている意味がゼンゼンわかりませんがね、旦那。これが体(てい)のいい略奪でないとしたら、新しい詐欺か何かで?」
 ピンチの言葉に、アシュレイは冷たい眼差しで応じる。
「ほお。俺を詐欺師扱いするとは、いい度胸だ」
 底光りする青灰色の瞳で剣呑(けんのん)に睨まれたとたん、「ひえ」と叫んで後ろに一回転したピンチが、着地と同時にハリネズミの姿に変わった。あまりの恐ろしさに、つい防御態勢に入ってしまったせいである。
 そのままジリジリと後じさりしていくハリネズミを、大股で近づいたアシュレイが 指先でつまみ上げ、ニヤッと人の悪い笑みを浮かべて覗き込むと、いきなり遠くに放 り投げた。
 手足をばたつかせ、くるくる回りながら飛んでいくハリネズミの行方を目で追い、空中でフッと消え失せるのを見届けたアシュレイは、すぐに興味をなくしたように略奪品に視線を移し、しばらくその場で考え込む。ややあって壺を片手で抱えあげると、彼は悠然とその場を後にした。
 のどかな学校生活にも、時々、魔の時間が訪れる。ただ、それを肝に銘じる人間がいなかったのは、残念なことだった。

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第9話へ続く
◆ バックナンバー ◆
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2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
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2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
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