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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息

 朝から秋晴れとなったその日、湖のほとりを一人の生徒が歩いていた。
 きらきらと輝く琥珀色の瞳。
 ピンピンとあちこち好き勝手なほうを向く真っ黒い剛毛。
 ともすれば飛んでいってしまいそうなほど軽い足取りといい、朗らかな声といい、見るからに元気そうな彼は、石ころを蹴(け)飛ばしては、文句を言っている。
「ま~ったく、どうなっちゃっているんだ。ぜっんぜん、捕まりやしない。誰にきいても、あっちだのこっちだのと、意見の一致を見ないんだから、きいた相手がマヌケなのか、捜している相手がすばしっこいのか。それにしても、オレオレ、ピンチ様をここまで振り回すとは、ユウリ・フォーダム、捕まり難し、侮り難し、肩透かし。――――それとも、まさか、オレオレ、ピンチ様をからかって遊んでいるんだろうか?」
 そんなことはありえないし、その必要もないはずだが、一度持った疑いは、どこまでも深まっていく。
「ああ、だとしたら、なんて意地の悪い。オレオレ、ピンチ様をピンチに陥れて、何が楽しいというんだろう。そもそも、はちみつ酒を奪われて、何のためにユウリ・フォーダムを捜しているのかわからないっていうのに、こうも捕まらないとなっては、さすがにくじけてしまいそうだ。……もしかして、ユウリ・フォーダムは、はちみつ酒がないとわかって、すねているんじゃなかろうか。――――ああ、きっとそうに違いない!」
 絶対に違う。

グラストンベリートール(Grastbiru Tor)
グラストンベリートール(Grastbiru Tor)(著者撮影)
 そもそもユウリ自身は捜されていることも知らないはずで、勝手に仮定の上に仮定を重ね、ドツボにはまっている。
 この一風変わった少年は、セント・ラファエロの制服を着ているが、その名もピンチという、かなり怪しげな悪戯妖精(いたずらようせい)である。「湖の貴婦人(ダームデュラック)」として名高い妖精モルガン・ル・フェ、別名モルガーナの依頼を受け、人間界にはちみつ酒を届けに来たのだが、送り先を聞かずに飛び出してきた上に、これでもかというほど愚かなことを積み重ね、すでににっちもさっちも行かない苦境に追いやられていた。
「ああ、どうしよう。ユウリ・フォーダム、カムバ~~ック!!」
 本人が聞いていたら、「来てもいないのにカムバックできるか」と文句を言うところだろうが、幸いにもここにはいない。
 だが、ピンチが湖に向かって叫んだ瞬間、少し離れた場所にいたユウリが、ふと顔をあげて彼方を見た。
 煙るような漆黒の瞳が、何かの気配を探るように翳(かげ)る。
 確かに誰かが、自分を捜している。
 しかも、強烈に――――。
 その思念があまりに強く、ユウリの神経に触れるのだ。
 隣に立っていたシモンは、友人の様子が変なことに気づき、心配そうに尋ねた。
「ユウリ、どうかした?」
「あ、ううん。なんでもない」
 相変わらず遠くに視線をやったまま、ユウリがどこか上の空で続ける。
「……ただ、ちょっと誰かに呼ばれたような気がしただけ」
「誰かに?」
 そこで、腕を組んで考え込んだシモンは、昨日から誰かがユウリを捜していることに思いを巡らせた。まだその話をユウリにしていないが、霊感の強い友人は、周囲から与えられる情報とは無関係に、何かを察しているようである。
(……さて、どうしたものか)


 一方、叫んで気のすんだ悪戯妖精は、湖畔の道から小路(こみち)を伝って建物がたくさん並んでいる通りに出た。そこは、セント・ラファエロの生徒が大勢行き交うメイン・ストリートで、ちょうど昼休みに差しかかった今は、それこそそこらじゅうに生徒がひしめき合っている。
 立ち止まってしゃべっている一団もいれば、足早に通り過ぎる生徒もあって、かしましいことこの上ない。
 あまりの人の多さにげんなりしたピンチは、一瞬引き返そうかと考えたが、尻込(しりご)みしていても事態は変わらないので、意を決し近くの生徒に声をかける。
「あの、ちょいとお尋ねしますが……」
「なんだ?」
「ユウリ・フォーダムがどこにいるか、ご存知で?」
「知るか。そんなの、ヴィクトリア寮の生徒にきけばいいだろう」
「ヴィクトリア寮?」
 きき返した時は、すでに相手は歩き去っていた。なんとも忙(せわ)しない。
 ムウッと頬(ほお)を膨らませたピンチだが、気を取り直して、別の生徒に声をかける。
「ちょいと、そこの旦那(だんな)、そうそう、そこのカッコイイ旦那ですよ。見目麗しい上に、明敏そうな、将来を期待できそうな旦那ですって」
「俺のことか?」
 そこまで聞いて振り返るとはかなり神経が図太いようだが、その生徒は、そこに立っていたピンチの姿を見て、訝しげに首をひねった。
「……お前、どこの生徒だ?」
「ここの生徒ですよ。見てわかるでしょう。――――それより、ユウリ・フォーダムをご存知で?」
「もちろん、知っているが」
 言いながら、相手をジロジロ見おろした相手は、「もしかして、お前」と興味津々の体(てい)で身を乗り出してくる。
「例の奴か?」
「例の、と申しますと?」
「フォーダムを捜しているっていう、謎の生徒」
「謎?」
 そこで、大げさにのけぞったピンチは、顔の前で大きく腕を振って否定する。
「謎なんてとんでもない、ただの生徒ですよ、どこにでもいる普通の生徒です。間違っても悪戯妖精が化けている生徒なんかじゃありませんやね。まして、はちみつ酒をなくして途方にくれているなんてこともないですし」
「当たり前だろう」
 ピンチの弁解をあっさり受け入れた相手は、「何をバカなことを言っているんだ」と呆(あき)れながら視線を流し、そこで「ああ」と彼方を指差す。
「ほら、フォーダムなら、あそこに――――」
 言いかけたとたん、つむじ風が巻き起こり、制服のすそがフワリと舞い上がった。
 驚いて言葉を呑(の)み込んだ彼が、おそるおそる視線を戻すと、今の今までそこにいた生徒の姿が消えている。
「――――なんだ?」
 いったい何が起きたのか。
 彼には、訳がわからない。
 確かに誰かに声をかけられたはずで、話した相手の顔も覚えているが、まるでそれが白昼夢であったかのように、彼は一人、その場に取り残されていた。
 昼休みの喧騒(けんそう)が、彼を包み込む。
 片やピンチはといえば、質問した相手の答えを最後まで聞かず、風を追い抜く速さで、男の指差したほうに飛んでいった。文字通り「飛んでいった」ので、誰も移動する彼の姿を見ていない。
 忽然(こつぜん)と消え、唐突に姿を現す。
 そして、彼が降り立った先には、まさにこの世のものとは思えないほど、高雅な青年が立っていた。
 白く輝く淡い金の髪。
 南の海のように澄んだ水色の瞳。
 その立ち姿は、まるで太陽神アポロンのごとく輝かしく煌びやかで、見る者をうっとりとさせずにはおかない。
(見つけたぞ!)
 悪戯妖精は、彼をめがけてすっ飛んでいく。
(やっほいほい、ついに見つけた! 見つけたぞ! これぞまさに、神の寵児(ちょうじ)。語り継がれし英雄そのもの。湖のお方のお知り合いとして、これほどピッタリな人間はいないってこった。さあ、いざやいざ!)
 ストンと。
 唐突に、ピンチは現れた。
 そのあまりの唐突さに、さすがのシモンも、驚きに目を見開いている。
 だが、構わず、ピンチは駆け寄った。
「ユウリ・フォーダム!」
 叫んで、抱きつけば、周囲が大きくどよめく。
 それもそのはずで、これは前代未聞の意表をつく出来事だった。
チャリスウェルガーデンの源泉
チャリスウェルガーデンの源泉(著者撮影)
 もちろん、全校生徒の憧(あこが)れの的であり、常日頃から近づき難く、ただ遠巻きにするしかないスーパースターに対し、軽々しく抱きつくという行為が驚きと反感をもたらしたのは確かであるが、それは外周部を囲む下級生たちのことであり、その内側に存在するシモンの仲間たちには、別の驚きが広がっている。
 なにせ、叫ばれた名前が違う。
 天下のシモン・ド・ベルジュを呼び間違えた間抜けは、いったいどこの生徒であるというのか――――。
 唖然(あぜん)とする人々の中で、まずはシモンが相手を引き剥(は)がしながら確認する。
「なるほど。つまり、君がウワサの生徒だね」
「ウワサ?」
「うん」
 なんとなく、周囲の反応や抱きついた相手の様子から、自分が何かとんでもないへまをしでかしたことをうっすら感じ取ったピンチが、戸惑いながらきき返す。
「ウワサというと?」
「ユウリを捜していたんだろう?」
「はあ、まあ。それは否定しませんよ。だから、こうして出会えたわけで」
「確かに、ある意味、出会えてはいるけど」
 そこで、自分の隣で不思議そうに首を傾げているユウリ本人をチラッと見てから、シモンは続けた。
「それで、君はユウリに何の用があるんだい? ――――いや、それ以前に、君はいったい何者?」
「……えっと、何者かってきかれたら、ここの生徒としか答えようがなく、名前はまだないとか言っちゃったりして――――駄目ですよね? いっそのこと、好きな名前で呼んでもらって構わないんですけど……」
 シモンの水色の瞳が、相手の怪しげな態度を映して、冷たく細められる。
「……えっと……その」
 なんとなく万事休すを悟ったピンチが、危うくその場でハリネズミの姿になりかけた時だ。
「あの……、騒がせて、ごめん、シモン」
 ユウリが、悪戯妖精の腕をやんわりとつかんで引き寄せながら、言う。
「彼は、僕の知り合いなんだ。人を驚かせるのが好きで、きっと僕をびっくりさせようと思って変装してここまで来たんだと思う」
「じゃあ、やっぱりここの生徒じゃないんだな?」
 近くにいた仲間の一人、ウラジーミルの確認に、ユウリは「うん」と頷く。
「知り合いって、どこの?」
「――――えっと、メル友」
「メル友?」
「うん。日本愛好会のサイトで知り合ったんだ。写真の交換をした時、たまたま僕一人で写っているのがなかったから、シモンと一緒の写真を送ったんだけど」
「それで、彼はシモンとユウリを取り違えたのか」
 ルパートの言葉に、ユウリは頷く。
「そう。突然のことで、僕も驚いてしまってとっさに声が出なかったんだけど、知り合いに間違いない。……それで、あの、勝手なことを言って申しわけないけど、……話を聞いたらすぐに帰らせるから、先生には内緒にしてもらえないかな?」
 そこで、仲間の視線が判断を仰ぐようにシモンに集まる。
 シモンは腕を組み、ユウリの説明を疑わしげに聞いていた。そんな友人に向かい、ユウリはパンと両手を合わせる。
「お願いだから、シモン。これ以上騒ぎを大きくしないで」
「――――まあ、ユウリがそう言うのなら、構わないけど」
 ややあって、渋々了解したシモンだが、もちろんそのまま済ます気はない。
「ただし、僕にもわかるように説明してもらうよ?」
「……うん。ありがとう、シモン」
 そこで、人の集まり始めたその場を仲間たちに任せ、ユウリとシモンは、悪戯妖精を連れて湖へ続く小道を降りていく。
 その間、騒動の中心である悪戯妖精は、神妙にかしこまっているかと思いきや、ユウリとシモンを交互に指さしながら、
「え、ユウリ? こっちがユウリ? どっちがユウリ? こっちがユウリ? 英雄じゃないのに? なんで、こっち? こっちじゃなくて? なんで? どうして? そりゃ変だろう」
とひたすら訳のわからない突っ込みを小声で言い続けていた。
 とにもかくにも、これでようやく悪戯妖精は、少しだけゴールに近づいたわけである。
 残る問題は、ただひとつ。
 略奪されたはちみつ酒の行方だけだった。

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第10話へ続く
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