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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
篠原美季/著
「最終話」悪戯妖精の帰還

 イギリス西南部にある全寮制パブリックスクール、セント・ラファエロに、その日、一人の珍客が紛れ込んできた。
 朝から秋晴れとなった、爽(さわ)やかな日である。
 四方八方好きなほうを向いた剛毛を掻(か)きながら、その珍客は、一緒に歩いている人間に陽気に告げる。
「とにかく、この際、誰がユウリ・フォーダムであろうとどうでもよくてですね、はちみつ酒さえ受け取ってもらえれば、こちとらすぐにでも退散できるわけですよ。いっそ受け取ってくれた人を、ユウリ・フォーダムにしてしまうってのは、どんなもんでしょうっていうくらいで。ただ、実際のところ、そちらさんが本当に、オレオレ、ピンチ様の捜している人物かどうかって疑問が、わずか~に残っているんですが」
 黙って相手の言うことに耳を傾けていたユウリ・フォーダムが、そこで軽く首を傾げた。
 その横で一緒に話を聞いていたシモン・ド・ベルジュが、首を傾げるユウリから珍客に視線を移し、呆(あき)れたように言い返す。
「バカなことを――――。君、言っていることが変だよ。本人を前にして、『受け取ってくれた人をユウリ・フォーダムにする』というのは、失礼にもほどがある。――――それに、そもそも、はちみつ酒を渡す相手を捜していたはずの君が、はちみつ酒を受け取ってくれた相手をユウリ・フォーダムにするというのは、どういう繋(つな)がりがあってのことなんだい? 最終的にユウリにたどり着くことにした、その飛躍がよくわからないよ」
「それは、だから、はちみつ酒を受け取ってくれた人をユウリ・フォーダムにすれば、事足りるという……」
「だから、なぜ?」
「なぜ?」
 鸚鵡(おうむ)返しに言いながら、ピンチは首をグルリと回して考える。
「なぜかと言えば、それはえっと……、ああ、そうそう、思い出した、あくまでも仮定の話ですけど、もしオレオレ、ピンチ様が、妖精王(ようせいおう)の使いで――――仮定の話ですよ、仮定の、もしもの話として言うんですからね――――、妖精王か湖の貴婦人(ダームデュラック)の使いではちみつ酒を人間に届ける途中であるとしたら、その相手はユウリ・フォーダムであるべきだって、親切な釣り人が教えてくれましたんで……。とはいえ、仮定が仮定のままだった場合は、当然結果もまた仮定になってしまうわけなんですが」
「なんだか、ずいぶんとややこしい話をしているようだけど、要は、君が届け先を聞くのを忘れて飛び出してきたというだけの話ではなくて?」
「いやいや、滅相もない、旦那(だんな)」
 顔の前でブンブンと勢いよく手を振ったピンチが、大真面目に言い返す。
「仮にそうだとしても、それを言っちゃあ、おしまいよってもんで。せっかく開いていた門も閉じちまうってもんですよ。もんが門でもんなわけで」
「……言っていることがまったくわからないけど、まあいいや」
 相手の言うことをまともに取り合ってもしかたないと判断したシモンが、先を急いで確認する。
「つまり、君は妖精王か湖の貴婦人の、どちらかの使いというわけだね? ……ピンチというのは、君の名前かい?」

ロンドン大学のある街角(著者撮影)
ロンドン大学のある街角
(著者撮影)
「そうですよ。妖精王の第二の従者、悪戯妖精のピンチと言やあ――――あわわ」
 調子に乗って自己紹介を始めようとしたピンチは、そこで慌てて自分の口を押さえた。正体をばらしてどうしようというのか。
 だが、もう遅い。
「なるほど」
 多くを語ってもらうまでもなく、おおよその事情を察したシモンが、もの珍しそうに納得したところで、それまで黙っていたユウリが、唐突に尋ねる。
「ところで、ロビンは元気?」
「ロビン?」
 いかにも頓狂(とんきょう)なことを聞いたと言わんばかりに目を丸くして聞き返したピンチに対し、ユウリが説明を加える。
「そう。君が妖精王の第二の従者なら、きっと第一の従者のことを知っているんじゃないかと思って」
「ああ!」
 声と同時にポンと手を打ったピンチが、指を突きつけて確認する。
「お尋ねなのは、もしかして、『妖精王の第一の従者、悪戯妖精ロビン・グッドフェロウ』のことですか。――――彼をご存知で?」
「まあ、ちょっとね」
「へえ」
 意外さと嬉(うれ)しさの入り混じった声音で受けたピンチが、己の正体がばれていることなどすっかり忘れて、得意げに説明する。
「いや、元気ですよ。人間界で大変な目に遭ったらしく、一時は存在を維持するのが危なかったらしいですが、今じゃ、すっかり元気になって、あちこち飛び回っています。……ただ、心配性の王様が後遺症なんかを懸念して、ここ一番という時以外は、まだ人間界に降ろす気にならないみたいで、こうしてオレオレ、ピンチ様がせっせと働いているってわけです。かわいそうでしょう? ――――ま、ロビンの場合、人間と仲良くなりすぎたみたいで、そいつをかばってケガをしたというから、バカバカしい限りですがね」
 そこで、ユウリの表情が翳(かげ)る。
 というのも、ユウリこそが、くだんの悪戯妖精ロビン・グッドフェロウがかばったその人であるのだから、ピンチの言葉に落ち込むのも当然だ。
 だが、その事実を知らないピンチは、調子に乗って、さらに人間を責め立てる。どうやら、これまでに鬱憤(うっぷん)がずいぶんと溜(た)まっていたらしい。
「オレオレ、ピンチ様が思うに、きっと、その人間は、とっくにロビンのことなんざ、忘れているでしょうよ。人間なんて、そんなもんです。薄情なうえに欲張りな生き物ですからねえ。人間に肩入れしすぎると、ロクなことにならないという教訓ですな」
「そうとも言い切れないだろう」
 悲しげに沈黙するユウリに代わり、シモンが友人をかばうように答える。
「君が、どれほど人間に詳しいかは知らないけど、妖精の中には、利口で親切なのから、ドジでバカでマヌケで、そのうえ考えなしの迷惑者がいるように、人間にだって、悪い奴もいれば、情け深いのもいる。もちろん、相手が何者であろうと、受けた親切や恩義を忘れない人間だって、たくさんいるはずだよ。それを、君が勝手に決めつけていいということはない。だいたい、そんなに人間が嫌いなら、そばに寄らなければいいじゃないか」
「そりゃ、ごもっとも。だから、こんな仕事はさっさと終わらせて、とっとと妖精界に帰りたいわけでして。人間をからかうのは面白いけど、深入りはしたくないし、人間界も、ちょいと足を伸ばすには最高だけど、長居は無用ってね」
 シモンの説教めいた言葉を馬耳東風といった感じで受け流し、ピンチは面倒くさそうに続ける。
「そのためにも、そちらさんがはちみつ酒を受け取ってくれたらいいわけですよ。それですべてが丸く収まり、万々歳で大団円。――――ね? いかがなもんです?」
「いかがって、君ねえ、少し無責任な気が――――」
 文句を言いかけるシモンの袖(そで)をつかんで引き止め、煙るような漆黒の瞳(ひとみ)をピンチに向けたユウリが、了承する。
「いいよ。それで君が帰れるというのなら、僕がはちみつ酒を受け取る。その代わり、君が誰の使いでここに来たかということだけは、教えてくれる? 妖精王? それとも、湖の貴婦人?」
「――――それを聞いて、どうするおつもりで?」
「もちろん、お礼を言うんだよ。もらいっぱなしというわけにはいかないからね」
「……なるへそ」
 堅いものでも丸呑(の)みしたような表情で納得したピンチが、しばらく悩んでから、しぶしぶ応じる。
「頼まれたのは、湖のお方にですよ」
「そう。わかった。――――じゃあ、はちみつ酒を受け取るよ」
 言いながら、あたりを見回したユウリが問う。
「それで、どこにあるって?」
 ユウリとしては当然の質問をしたつもりだったが、相手は、それがいかにも解きがたい問題ででもあるかのように、腕を組んで深く首をひねった。
「はちみつ酒がどこにあるかというと――――、はて」
「はて?」
 聞きとがめたユウリが、不思議そうに尋ねる。
「はてって、どういうこと? ……単純な話だと思うけど、かんじんのはちみつ酒がどこにあるかを教えてくれないと、受け取ることもできないよ?」
「まあ、それはそうでしょうが、どこにあるかというのは、それを持っている者だけが知ることでして、それを持っているのが誰かを知っているだけの者としては、それがどこにあるかという問いに答えるのは、いささか難しいわけです」
「……えっと、言っていることがよくわからないんだけど?」
 禅問答のような言い回しに、ユウリが眉(まゆ)をひそめて尋ね返すと、同じく相手の言い分を聞いていたシモンが、「もしかして」と要点をまとめて言った。
「君、届けに来たと言いながら、はちみつ酒を持っていないのかい?」
「いやいや! まさかまさか、さかさのまさか」
 大慌てで否定したピンチが、腕を顔の前で交差して抗議する。
「冗談を言っちゃあ、いけませんよ、旦那。――――いいですか、持っていないというのはまったく正確ではなくてですね、確かに、今、ここには持っていないように見えるかもしれませんが、持っている人間を知っている限りは、まだ繋がりは皆無とは言いがたい――――」
「持っていないんだね」
 ごたくを断ち切るように決めつけたシモンが、小さくため息をついてユウリに視線を移した。
「ユウリ。いつまで、この茶番に付き合うつもりなんだい?」
「それは、えっと」
 返答に悩みながら、腰に手を当てて見おろしてくる親友と、あたふたと手を振り回す悪戯妖精を交互に見ていたユウリは、ついには拝むように両手をあげた悪戯妖精に軍配を上げ、申し訳なさそうに結論をくだす。
「――――最後まで」
「ユウリ」
 咎(とが)めるように、シモンが名前を呼ぶ。
 だが、意志が弱そうに見えて、一度こうと決めたら意外と頑固なユウリは、澄んだ水色の瞳を見つめ返して言い訳する。
「だって、シモン。ここまで話を聞いたら、結末を知りたくならない?」
「ならないよ、全然。――――というか、どう考えても、届け先も聞かずに飛び出してきたおっちょこちょいの妖精が、ついでに届け物までなくしたというだけの話じゃないか。……僕が思うに、最近、校内を騒がせていた果物ドロボウの件だって、きっと彼の仕業だよ。賭(か)けてもいい」
 指摘され、ユウリがピンチを見ると、同じタイミングでピンチが湖のほうへ顔を背けた。
 秋風とともに、その場にシラッとした空気が流れる。
 自分の推測に確信を持ったシモンがさらに言う。
「となると、はちみつ酒だって、本当に盗られたかどうかも怪しいものだよ。自分で飲んでしまって、それを人のせいにしているだけかもしれない。なんにせよ、すべては自業自得というもので、同情の余地はない。戻って、主人に正直に報告すればいい」
「ひょえ!」
 奇声を発して飛び上がったピンチが、勢いよく反論する。
「冗談はなしですぜ、旦那。盗られたのは、本当です。真面目な話、ぶん取られたってわけで、あれは不可抗力です。なにせ、相手は悪魔ですから」
「悪魔?」
 聞きとがめたユウリが、確認する。
「悪魔が、はちみつ酒を奪っていったの?」
「だから、そう言っているでしょう。あれは、正真正銘、闇(やみ)から生まれた悪魔ですよ。人の姿をした悪魔」
 言いながら身体をブルブルと震わせたピンチが、「そういえば」と思い出したように続けた。
「その悪魔、そちらさんのお知り合いのようで」
「知り合い?」
 自分の鼻の頭を指し、ユウリが首を傾げる。
「僕の知り合いって、なんでわかるんだい?」
「そりゃ、そう言っていたからです」
「悪魔が、僕と知り合いだって?」
「まあ、そう直截(ちょくさい)な言い方はしなかったと思いますが、なんてったっけ? ……ええと、うんと、――――あ、そうそう」

 

◆ バックナンバー ◆
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2008年11月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第2話」ルパート・エミリの無念
2008年12月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第3話」数学者と皮肉屋の不審
2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
2009年2月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし
2009年3月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第6話」ユウリ・フォーダムの昼休み
2009年4月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第7話」エドモンド・オスカーの誤算
2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
2009年6月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息