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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第6話」ユウリ・フォーダムの昼休み

 立ち止まったユウリの目線の先に、ボートを係留する桟橋がのびていて、そこに1人の青年が柵(さく)に寄りかかるように立っていた。
 前屈みになっているが、スラッと背が高い。
 亜麻色の髪。
 薄緑色の瞳。
 全体的に冷たい印象があるが、ユウリは、その青年が真面目で人情味豊かな人間であるのを知っている。
 彼の名前は、ドナルド・セイヤーズ。
 同じヴィクトリア寮(ハウス)に在籍する1級下の生徒である。
 現在、ヴィクトリア寮の寮長をつとめるかたわら、代表の一人として、筆頭代表のシモンを助け、生徒自治会(スチューデン トソサエティ)執行部を運営している。
 簡単に言えば、超エリートの一人だ。
 多忙な彼が、こんなところでぼんやりしているのは珍しいことで、声をかけるか、そのまま行き過ぎるか、ユウリがしばし悩んでいると、気づいたセイヤーズが意外そうに目を見開いて、背筋をのばした。
「フォーダム?」
「やあ、セイヤーズ」
 声をかけられたところで、ユウリは近づいていって挨拶(あいさつ)し、さらに尋ねた。
「何をしているんだい?」
「何と言われても、天気がいいので、ちょっとぼんやりしに来ただけですけど……」
「ぼんやりしに?」
 下級生の返答を繰り返し、ユウリは片眉(かたまゆ)をあげて考える。
 わざわざぼんやりしに?
 ここまで、来た?
 ――――それは、なんとも信じがたい。
 いや、違うか。
 そうではなく、わざわざこんなところまで来ないとぼんやりできないというのが、信じられないのだ。
 なにせ、ユウリは、年がら年中、ところかまわず、ぼんやりしている。
 ただ、ユウリと違い、セイヤーズの場合、同じぼんやりでも、どこか憂い事を抱えているような翳(かげ)りがあって、あまり楽しそうじゃなかった。
 日頃、ぼんやりすることを楽しんでいるユウリは、それが少し気になる。
 なにか、悩み事でもあるのだろうか。
 そんな心配をよそに、セイヤーズがきき返してくる。
「フォーダムこそ、こんなところで、何をしているんです?」
「えっ。ああ、散歩だよ」
「散歩? 一人で?」
 疑わしげに言いながら左右を確認したセイヤーズは、ユウリには、必ず誰かしら連れがあるものと思い込んでいるらしい。
「もちろん。――――というか、それって、確認するようなこと?」
「ああ、すみません。ただ、たぶんこの状況をもったいないと感じる人間が大勢いるだろうと思って」
「……もったいない?」
 その表現がピンと来なくてきき返したユウリに、セイヤーズは、「いえ」と言葉をにごした。
「それより、もしかして、僕はフォーダムの散策の邪魔をしていますか?」
「そんなことないよ。君こそ、一人の時間を邪魔されたくないんじゃなくて?」
「いや。別に……」
「本当に?」
「はい」

キングス・カレッジの外観と構内およびチャペルの外観
キングス・カレッジの外観と構内およびチャペルの外観
 その一瞬、セイヤーズの顔に浮かんだ逡巡(しゅんじゅん)がなんであったか、ユウリにはわからなかったが、落ちた沈黙に気まずさはなく、むしろ誘いかけたほうがいいような空気を感じ取ったので、試しに言ってみる。
「……それなら、たまには少し話さない?」
「そうですね」
 今度の表情は少しはにかみを含む穏やかなものだったので、ユウリはホッとする。
 もとより、セイヤーズにしてみれば、たとえ一人になりたい時でも、ユウリと過ごす時間だけは別だった。この控え目な上級生がまとう静謐(せいひつ)で清廉な空気は、ほかのどんなものよりも癒しの効果がある。
 ただ、それを素直に表現できるほどあけすけな性格はしていないし、図々しくもないので、遠慮して自分からは誘わないだけで、こうして、偶然にも、向こうからチャンスが転がり込んできたのであれば、なにを断る必要があるだろう。
 そんなこんなで、すんなり後に従うセイヤーズと連れ立ち、ユウリは散歩道の途中にある木製のベンチに向かった。
「そういえば、その後、下級生の様子はどう?」
「下級生って、あの、あなたにケンカの仲裁をされたくせに、懲りずにまたケンカして、窓ガラスに突っ込んでケガをした、大馬鹿者のことを言っています?」
「ええと」
 その身も蓋(ふた)もない言い方にうろたえつつ、ユウリはうなずく。
「うん、そう」
「それなら、ご心配なさらずとも、元気ですよ。まだ包帯はとれていませんが、あちこち走り回っています。……またケガする日も、そう遠くないって感じで」
「なるほど」
 苦笑したユウリが、ベンチに座ったところで、先を続ける。
「だけど、原因となった果物ドロボウは、まだつかまっていないんだよね?」
 と。
 並んで座りかけていたセイヤーズが、一瞬ギクリと動きを止めた。それから、なにげなく腰かけながらあいまいに応じる。
「……ええ、まあ、確かにつかまっていませんね」
 座ったまま、下級生の様子を眺めていたユウリが、煙るような漆黒の瞳を細めて首を傾げた。
「あれ? もしかして、セイヤーズには、犯人の心当たりがあるの?」
「えっ?」
 驚いて振り向いたセイヤーズがじっと見つめ返してくる前で、少し考えたユウリが、さらに質問を重ねる。
「しかも、そのことで、なにか悩んでいる?」
「――――」
 今度は下級生から応答はなく、ただ薄緑色の瞳を向け、薄気味悪そうにユウリを見おろしてきた。
 その瞳を受け止め、ユウリがスッと目を伏せる。
「ごめん。変なことを言って。ただ、君、ちょっと困っているみたいだったから……」
「困っている?」
「うん、そう。戸惑っているというか……。あ、もちろん、こっちの勘違いかもしれないけど……、でも、もし本当に悩んでいるなら、僕でよければ、話を聞こうかと」
「…………なるほど」
 うなずいて黙り込んだ下級生は、ややあって、フッと緊張を解き、ついで小さくため息をついた。
「まあ、確かに、ちょっと戸惑っているかもしれません」
 そんなことを言い出したセイヤーズのほうへ、ユウリが視線を戻すと、下級生は湖のほうを見つめたまま、続けた。
「この前、寮の裏手の雑木林で、ルパート・エミリに会ったんです」
「ルパートに?」
「はい。……フォーダムは、彼の捜しているものについては、ご存知ですよね?」
「あ、えっと、――――ハリネズミのこと?」
 ユウリが答えると、うなずいたセイヤーズが続ける。
「エミリは、果物ドロボウの犯人は、ハリネズミだと主張していますよね?」
「うん」
「――――そのことについて、フォーダムは、どう思いますか?」
「どうって、まあ、ルパートが言うんだから、たぶんハリネズミはいると思うけど、寮内を騒がせている果物ドロボウがすべてハリネズミの仕業だとは思わないよ」
「それは、ハリネズミはいても、ハリネズミが果物を盗るという話は信じられないということですか?」
「ううん」
 あっさり否定したので、セイヤーズが意外そうにユウリを見た。
「じゃあ、信じるんですか?」
「もちろん。ルパートが見たのなら、間違いないよ。……ただ、そのハリネズミを捜そうというのは、無駄な気がするけど」
「無駄?」
 ユウリの言い様を少し考えてから、セイヤーズが確認する。
「それは、やっぱり信じていないということではなくて?」
「違う。そうじゃないよ。…………ただ、昔から、妖精や幽霊は、見ようと思って見られるものではないだろう?」
「まあ、そうですね」
「ルパートの言うハリネズミも、それと同じじゃないかと思うんだ」
「つまり、ハリネズミの正体は、妖精?」
「あるいは、ハリネズミの幽霊」
 ちょっとニヤニヤしながらユウリが付け加え、セイヤーズは思いっきり嫌そうに眉をひそめた。
「まさか、あれが幽霊とは――――」
 言いかけて、ハッと言葉をとめる。
 案の定、ユウリが漆黒の瞳を大きく見開いて、セイヤーズを見つめた。
「あ、いや」
 自分の失言をどう取り繕うか、必死で考えを巡らせる下級生の努力を一瞬で蹴散(けち)らすように、ユウリがきく。
「嘘(うそ)。もしかして、セイヤーズも見たの?」
「え、いや」
「ハリネズミを?」
「いや、だから」
「じゃあ、ハリネズミの幽霊を?」
「違います!」
 そこははっきり否定し、セイヤーズは主張する。
「あれは、どう見ても、幽霊なんて恐ろしげな存在じゃありませんでしたよ! ふてぶてしいというか、ヨチヨチしていてかわいいというか」
「じゃあ、見たんだ?」
「――――」
「ハリネズミを?」
「――――」
「果物を盗られた?」
「……ええ、バナナをね……背中にさして」
 ついに観念したらしいセイヤーズが応じると、ユウリは、「そうか」と納得したようにベンチの背もたれに身体(からだ)を預けた。
「だから、君、悩んでいたんだね」
「いや。別に、それほど悩んでいたわけでは」
「でも、困っていたよね。受け入れがたい難問をどう処理するかで。……まあ、わからなくもないけど。セイヤーズは、そういうの嫌いだから」
「……そうですね」
 セイヤーズは苦笑し、認める。
「確かに、今さら、それは否定しませんけど、でも、そういうあなたこそ、こんな話を聞かされても、否定しないんですか、フォーダム?」
「否定?」
「そうですよ。見てもいないくせに、こんな非常識な話、ふつう、信じないでしょう」
「そうかな?」
 ユウリは少し考え、「まあ、そうかもね」と笑う。
「でも、友達が見たと言うのを否定するよりは、そういうちょっと変わったものがいると信じたほうが、楽しいから」
 なんのてらいもなく、ユウリがそう言った瞬間、フワッと羽衣のような柔らかさと暖かさに包み込まれた気がしたセイヤーズは、そのすべてをつかみとりたくて、とっさに手を伸ばしてユウリの腕に触れた。
 だが、その時、それを邪魔するように、背後から声がかけられる。
「フォーダム!」

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