講談社BOOK倶楽部

ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第7話」エドモンド・オスカーの誤算

 行き先は、決めていない。
 セイヤーズの言葉に従うのもしゃくだから、いっそこのまま新館にあるフォーダムの部屋を訪ねてもいいのだが、さすがにそれは彼なりに気が引けて、しかたなく図書館にでも行ってみるかと、方向転換する。
 運がよければ、資料を探しに来たフォーダムと鉢合わせする可能性もある。
 期待しているわけではないが、折よく探したい資料があったので、気分転換にちょうどいいと踏んだのだ。
 だが。
 図書館へと続く小路の前まで来たところで、オスカーはハッとして立ち止まった。
 彼の目の先には、まごうかたなき、両手に本を抱えたユウリ・フォーダムの姿がある。
 けれど、邂逅(かいこう)の幸運を喜ぶ間もなく、そのすぐ後ろから、スラッと優美な立ち姿をした生徒が、まるで守護神のごとく現れた。
 シモン・ド・ベルジュ。
 ユウリのそばにこの人ありと言われる、フランスの貴公子である。
 ユウリのために開けてやった扉を後ろ手に閉める動作ですら気品に満ちていて、同性でも見とれずにはいられない神々しさだ。
 仲睦(なかむつ)まじく歩いてくる2人のうち、先にオスカーに気づいたユウリが、「あれ?」と言って立ち止まり、にこやかに笑いかけてくる。
 その笑顔を見たとたん、オスカーの中にあったモヤモヤしたものが一瞬で消え去るのだから、自分でもあほらしくなる。
「やあ、オスカー。また会ったね」
「どうも、フォーダム。先ほどは、失礼しました」
「ううん。こっちこそ、ごめん。ちょっと、セイヤーズと話し込んでいたから、冷たい言い方になってしまったかもしれない。あとで反省したんだ」
「いや、そんな」
 実際、珍しく落ち込んだオスカーであったが、それを悟られるわけにもいかず、肩をすくめて言い返す。
「こっちこそ、察して、遠慮するべきでした」
 そこで、ユウリが困ったようにオスカーを見あげる。
「ねえ、オスカー。誤解のないように言っておくけど」
「なんですか?」
 軽く腰を曲げて見おろしながら、オスカーは、もしかして、この上級生にはすべてお見通しで、セイヤーズを優先してしまったことを心苦しく思い、弁解してくれる気なのかと変な期待をかける。
 だが、それは微妙に違った。
「別に、セイヤーズは、君に内緒ごとがあるわけではないんだよ?」
「えっ?」
「いや。ほら、さっきのことだけどさ」
 ユウリは、言葉を探しながら説明する。
「なんというか、親しい友人同士だと、つい見栄を張って言いにくかったりして、でも誰かに話を聞いてほしくて、少し遠い関係にある人間に、心中を吐露したくなることってあるよね?」
「はあ、まあ」
 うなずきながら、オスカーは内心で「なるほど」と思う。
(そうくるか――――)
 つまり、ユウリは、やはりオスカーの不機嫌には気づいていて、ただ同じ弁明でも、セイヤーズを優先したことではなく、セイヤーズに優先されてしまったことを詫(わ)びようとしている。
 つまり、セイヤーズがオスカーにできない話を、上級生であるユウリなんかに話したことで、オスカーが傷ついたのではないかと心配しているのである。
 だが、オスカーにしてみれば、それはどうでもいいことだった。
 セイヤーズとオスカーは、それこそ共通の悩み事、たとえば寮内で発生した問題の対処だとか、仲間内の諍(いさか)いだとかは、しょっちゅう話し合っているが、プライベートな悩みを聞いたり、しゃべったりすることはほとんどない。
 正直、聞かされても困るし、話す気にもならない。そんなことで、他人を煩わせるのは性に合わず、お互い勝手に処理すればいいと思っているからだ。
 それは、セイヤーズも同じだろう。

セント・ジョーンズ・カレッジの構内
セント・ジョーンズ・カレッジの構内
 外見や性格がまったく正反対のようでいて、そういうところが似ているから、おそらく彼らは友人でいられるのだ。
 だから、さっきの件も、セイヤーズがユウリに何を話そうと興味はない。
 ただ、それを盾に、セイヤーズがユウリとの時間を独占したことに腹を立てているのだ。
(どうせ、ロクに話なんかしてないくせに……。だが、待てよ)
 そこで、オスカーはふと思いつく。
 この流れで、オスカーが少しふてくされてみれば、フォーダムのことだから、放っておくわけにいかなくなるのではなかろうか。
 いや、間違いなく、放ってはおけなくなる。
(それなら――――)
 オスカーの頭に、そんな邪念がよぎった時だ。
「ユウリ、そろそろ」
 甘く柔らかな声が、彼らの間に割って入った。
 内心で舌打ちしたオスカーは、数歩先で立ち止まっている貴公子をチラッと見る。
 なんとも絶妙な間合いだ。
 声をひそめて話せば聞こえないが、どうでもいい会話なら耳に入る。そして、明らかに待っていることを主張できる距離である。
 しかも、ずっと素知らぬ顔でいたくせに、きっちりこちらの思惑を読んでいるのだから、憎らしい。
「ごめん。今行く、シモン」
 振り返って答えたユウリが、顔を戻してオスカーを見あげる。
「じゃあ、オスカー。そろそろ行くけど、本当に気にしないでほしいんだ」
「だけど、フォーダム、俺としては」
 だが、未練がましい彼の主張は、厳しい声で遮られた。
「オスカー」
 下級生の名前を呼んだシモンが、すべてを見透かすような水色の瞳を向けて、忠告する。
「今の会話から察するに、そのことに文句があるなら、直接セイヤーズに言うべきだね。彼も、君がユウリを煩わせていると知れば、どんなことであれ、あっさり告白してくれるはずだよ。……なんなら、僕から状況を報告してもいいんだけど」
 その言葉に、慌てたのはユウリだ。
「シモン! それは――――」
 けれど、シモンはユウリを黙らせるように、腕を伸ばして彼の手から本を数冊受け取ると、空いている手でユウリの背中を押しながら、平然と続ける。
「もちろん、その必要はないだろうね、オスカー?」
「――――ええ。そのとおりですよ、ベルジュ」
 ここにいたってオスカーは、おのれの敗北を認めないわけにはいかなかった。
 もともと、つまらない嫉妬心(しっとしん)が原因で、みずからを追い込んだようなものである。
 だから、そのあと、目の前でかわされた会話も、彼にとっては耳の痛いものでしかなかった。
「ちょっと、シモン。そんな勝手に――――。彼らだって、デリケートな部分があって」
「そうだろうね。でも、僕が思うに、彼らの精神は、バリケード並みに強固だ。ついでに言うなら、君の受験に対する姿勢も、それくらい堅固になってほしいよ」
「う」
 一言うめいて黙り込んだユウリの背中をポンポンと叩(たた)き、シモンが慰める。
「ああ、ごめん。それこそ、デリケートな問題だった。でも、安心していいよ」
 そこで、手にした数冊の本を掲げ、天使のごとき助言をする。
「シンクレア教授の趣味に寄りすぎた難解なレポートはすぐに終わらせて、もっと有用な勉強に力を注げるよう、僕がサポートするから」
「……お願いします」
 そうなのだ。
 オスカーが崇拝してやまない上級生は、決して安穏と下級生の戯れを受け入れていられるような状況にない。
 それを考慮に入れて振る舞わないと、来年、惨憺(さんたん)たる結果を招くだろう。
 セイヤーズの言い分ではないが、あまりつまらないことで、フォーダムを振り回してはまずいのだ。
(これは、マジで自重しないと――――)
 改めて自戒したオスカーは、なんだかんだ言って、バカバカしいほど仲睦まじげな2人に背を向けて、図書館に入っていく。

前に戻る
◆ バックナンバー ◆
2008年10月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第1話」マーク・テイラーの隠し事
2008年11月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第2話」ルパート・エミリの無念
2008年12月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第3話」数学者と皮肉屋の不審
2008年12月25日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第4話」ドナルド・セイヤーズの休息
2009年2月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第5話」アーサー・オニールの憂さ晴らし
2009年3月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第6話」ユウリ・フォーダムの昼休み
2009年4月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第7話」エドモンド・オスカーの誤算
2009年5月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第8話」ドルイドの助言と悪魔の罠(わな)
2009年6月1日 セント・ラファエロ物語 アナザーピープル「第9話」シモン・ド・ベルジュのため息