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ホワイトハート X文庫 | Web連載小説
セント・ラファエロ物語
~アナザーピープル~
「第7話」エドモンド・オスカーの誤算

 石造りの重厚な図書館。
 足を踏みいれた瞬間に、空気の色が変わるのがわかる。
 知識の殿堂から流れてくる粒子が、ここに踏み込んだ人間の細胞を刺激し、雑念を振り払ってくれるようだった。
 なんとなくホッとし、オスカーが身体(からだ)から力を抜いた時だ。
 入り口付近で、すれ違った生徒と腕がぶつかる。
「おっと、失礼」
 とっさに謝った彼に対し、相手の言い分はちょっと変わっていた。
「とんでも、地球をひとっとび。それより、はちみつ酒をご所望で?」
「いや」
「それは、残念」
 反射的にそんな会話をかわしたオスカーは、数歩進んで立ち止まる。
 明らかに、おかしい会話だ。
 だいたい――――。
(はちみつ酒?)
 なんで、このタイミングではちみつ酒なのか。
 不審に思って振り返れば、ちょうど扉口を出ていこうとしている生徒がいたので、彼は呼び止めた。
「おい、ちょっと」
 すると、振り向いた生徒が、ススッと異様な速さで戻ってくる。
「へいへい、旦那(だんな)。やっぱりはちみつ酒で?」
「いや」
 応じつつ観察してみると、それは実に風変わりな生徒だった。
 あちこちを向いた針山のような髪。
 八重歯のある口元。
 キラキラした瞳は、ともすれば金色に見えるほど輝いていて、はじけるような愛嬌(あいきょう)と活力がみなぎっている。
 健康的でいいのだが――――。
(こんな奴、この学校にいたっけか?)
 不審に思いながら、彼は尋ねる。
「はちみつ酒が、どうしたって?」
「いやはや、よくぞ聞いてくださいました。誰も彼も冷たくて、尋ねてもうんでもすんでもない。とにかく、とっとと届けないことには、こちとら、のども渇こうってもんで、増えない限りは減っていくばかり。そろそろ、底も見え始めようかというもので、どうしようかと真剣に悩んでおりまして」
 淀(よど)みなくしゃべり続けた相手が言葉を切ると、2人の間に不自然な沈黙が落ちる。
 ややあって、オスカーが言う。
「――――お前、さっきから何を言っているんだ?」
「おや? はちみつ酒の話ではなくて?」
「まあ、そうだけど」
「ご所望でございますよね?」
「いや」
「いや?」
 そこで、大仰にびっくりした相手は、「なんと!」と飛びのき、マジマジとオスカーを上から下まで見直した。
「それなら、なぜ呼びとめたので?」
「それは、変だからだよ。お前、どこの生徒だ?」
「ここのですけど……、見えませんかね?」
「見えるさ、一応ね。だが、俺がききたいのは、どこの寮(ハウス)の生徒かってことなんだけど」

セント・ジョーンズ・カレッジの外観と構内
セント・ジョーンズ・カレッジの外観と構内

「マウス?」
「ハウス!」
「アイス?」
「ハウス!」
「ハウス?」
「だから、そうだよ!」
「ハウス……?」
 愚かしい問答のあと、クルリンと目を一回りさせながら相手が考え込んでいると、背後から誰かがオスカーを呼んだ。
「オスカー」
「ああ?」
 反射的に振り向いたその一瞬。
 ビュッと小さな竜巻が起こり、彼の後ろ髪を巻き上げる。
 驚いたオスカーが振り返ると、そこにはすでに誰もいなかった。
 忽然(こつぜん)と。
 彼の前から、先ほどの少年が消えてしまったのだ。
(なんだ――――?)
 とっさの出来事に、呆然(ぼうぜん)とするオスカー。
「おい、オスカー。どうしたんだ?」
 近づいてきた友人が、そう言いながら覗(のぞ)き込む。
「なんか、変だぞ?」
「いや」
 しばらくの間、目を瞬かせて状況を把握しようとしていたオスカーは、半信半疑の口調で言った。
「今、ここに下級生がいただろう?」
「へえ、そう? オレには見えなかったけど……。て言うか、お前が大きいから、陰に隠れて見えなかった。――――そいつが、どうかしたのか?」
 逆に問い返され、オスカーは返事に窮する。
 どうしたと言われても、何をどう言えばいいのか。
 会話にしろ、突然姿を消したことにしろ、第三者に話してすんなり納得してもらえるようなことじゃない。
 さんざん悩んだあげく、彼は力なく首を振って応じた。
「いや、いいんだ。なんでもない」
「ふうん」
 不思議そうに首をかしげた友人ではあるが、すぐに気を取り直して、自分の用件をしゃべり出す。
「それが、聞いてくれよ。ジェラルドってば、どうやらいっちょまえに恋わずらいらしくて……」
 それを軽く聞き流しながら、オスカーは図書館の入り口に目をやった。
 自分が何を見て、何を聞いたのか――――。
 あれは白昼夢だったのか。
 それとも、現実に起こったことなのか。
 こういう不可思議な瞬間が、ここ、セント・ラファエロでは時おり訪れる。
 だが、そうとは知らないオスカーは、そこに何かを見いだそうとしているかのように、重厚な扉をじっとにらみ続けていた。

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第8話へ続く
◆ バックナンバー ◆
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